前編の「立ち上げ編」では、女川町復幸祭を立ち上げた初代実行委員長 阿部淳さんから、「町の外の人に女川町の現状を見てほしい」、「町の人たちに商売のできる環境を提供したい」、そして、「気楽に酒を飲めるような仲間と横の繋がりを作りたい」という3つの思いから、復幸祭がスタートしたというお話を聞くことができました!

「これまでと世代交代編」では、実行委員長の代替わり当時の思い、淳さん、敏さんそれぞれに聞いてみました(^^)!

(写真左)高橋 敏浩 氏 -(写真右)阿部 淳 氏

―1回目の復幸祭はどれくらいお客様がいらっしゃったんですか?

阿部:数えたところ、1万人くらいでした。

1年目が終わった後に、町長が「よくやってくれた。いや、すごいね!若い人たちが入ってきて、若い人たちで運営して、町から金を出さないイベントでここまでやったのはこの復幸祭が初めてだ」ってすごく喜んでくれて。

そこで、
「来年は町にも協力してもらえますか?」
と聞いたところ、「もちろん!絶対やってほしい」と言ってもらいました。
そして、1回目の開催を経て学んだノウハウを活かし、女川の仲間だけでやってみようと開催したのが2回目でした。

―  それが商店街復幸祭じゃなくて、本当の復幸祭?

阿部:そう、女川町復幸祭。

―  ちなみにその当時の様子は、敏さんから見てどうだったんですか?

高橋:いや、正直まだまだ関わり方がわからない段階でした。
商工会青年部はじめ、みんなが本気で協力しだしたのって復幸祭が始まって4年目ぐらいじゃないですか?

―  結構時間かかったんですね。

高橋:かかりましたね。
当時自分は、このままの中途半端な関わり方では、だめなんじゃないか?と悩んでいました。

(写真)高橋 敏浩 氏

―  女川って昔から新しいことにも、外から来た人にも柔軟なんだと思っていました。

高橋:今でこそ外から来る人を受け入れる体制ができているけど、前の女川って多分そうではなかったんです。受け入れ態勢は今ほどできていませんでした。

―  昔の女川は震災後に新しく女川入ってきた人たちのイメージと違うんですね。

阿部:自分は仙台から戻ってきていたので、田舎ってこうじゃないでしょって思っていました。みんなが仲良くて、気軽に仲間で飲めるような関係性がほしかっただけなんです。
それは一緒に何かに取り組んで、同じ日にちを重ねていくと、実現できると思っていました。

たとえば、1週間くらい催事に出店していると、隣の見ず知らずの出店者の方と仲良くなった経験がありました。最初は復幸祭もその延長みたいなものにできるのではないかと思っていました。

高橋:ところがなかなか難しかったですよね(笑)

阿部:そう!
回を重ねてきて、ようやく、「若いやつらも面白いし、最高だな」って先輩たちに言ってもらえるようになりました。

さらに転換点は5年目に「ももいろクローバーZ」さんが復幸祭でLIVEをしたタイミングですね。

高橋:ああそうかもしれないですね。

阿部:最初ももクロさんが来ると決まった時、
「ももクロっていう大きな力を借りんのか」
っていう人もいたんですよ。

でも決してアイドルにおんぶにだっこで、誰かの力を借りて成り上がってやろうなんて一切思ってなかったんですよ。それはメッキと一緒で、塗れば塗るほど剥がれるのも早い。そうじゃなくて、自分たちがちゃんと錆びない身体を持つためには、何をやらないといけないのかというのをちゃんと最初に考えておかないといけないなって思っていたんです。

高橋:でもそれって多分淳さんだけが思っていたわけじゃないと思うんですよ。多分実行委員の中でもそういう感覚が共通になっていたからよかったと思うんですよ。

―  でも、そんな風に回を重ねる中で、今の復幸祭の基盤が出来てきたんですね。だからこそかもしれませんが、実行委員会のメンバーひとりひとりのポテンシャルの高さは半端ないなといつも思っています。

阿部:なんかすごいことをやっているって感じに思われるんですよね。

高橋:そうなんですよ。

阿部:でも全然すごくなくて、ただ友達の輪を広げているだけなんですよね。

正直、すごい人って思われるのが嫌で。
「全部企画してやったんでしょ」「あんたが言えば誰でも言うこと聞くんでしょ」みたいに言われることもあって。
そんなことはないと思う反面、改めて考えてみるとせっかく自分も5年経験させてもらったので、若い人に同じ経験をしてもらいたいと思うようになりました。

そして当時、復幸祭を任せることができるのはやっぱり敏君だなと思い、ある日呼んで、「俺は次の委員長は敏君しか考えられないんだけど、やってくれないかな」とお願いしました。

高橋:なんで自分だったんですか?

―託された本人もちゃんとは知らないんですか?

阿部:本音でいわせてもらうと、敏君は文句言わせない言い方がすごくうまいんです。頼まれたことはちゃんとやるし、余計な事も言わないし、余計な事もやらないし。それでいて全体を考えているんですよね。

(写真)阿部 淳 氏

―  敏さんは当時商工会青年部の部長でもありましたよね。

阿部:そうそう。それも理由の一つでした。それまで復幸祭は自分が所属している水産加工研究会が中心でやらせてもらっていました。それもあって、今度は商工会青年部を中心とした復幸祭をやってみても面白いのではないか思うようになっていました。
そうすることによって、より町の中でみんなが同じ思いを共有することができる。これからは、今までやってきた人たち、今から関わってくる人たち、そしてさらに次に関わってくる人たちを混ぜていかないといけないと思っていて。
そうすると、うまく世代交代のきれいなサイクルができるのかなと思っていました。

俺は学生時代ラグビーをやっていて、キャプテンが変わるとチームが大きく変わる経験をしました。それを分かっていたので、やってきたものの上に違う風を吹かせることは大切だなと思ったのかもしれないですね。

さらにいうと、敏君って顔広いんですよ。
敏君を知らない人がいないし、俺が知らない人がいるときに敏君に聞くと、「○○の△△さんですよ」って普通に知っていて。
そういう人間関係があるから、みんなをまとめられるだろうなって思って。
怒っときは怒るし、熱いときは熱いし。

信念を曲げないのが、1番だからね。会社の経営もそう。何が必要とされていて、どういうふうにしていかないといけないかっていう根幹を曲げてしまうと、すぐつぶれる。そういうのを何となく肌で感じていたから、そういうことしない人って大事だと思って。

―  次の実行委員長に指名されてプレッシャーは感じなかったんですか?

高橋:それはもちろんありました。でも頼まれた以上はしっかりやろうと思いました。

―  本音でいうと、なぜ自分なんだろう?とは思いませんでしたか?

高橋:最初は、「ええ!自分ですか!?」って感じでした(笑)

だけど、やっぱりこれだけのイベントをやってる人に頼まれたということは、適当に頼んだわけではないと思うし、色んなこと考えて言ってくれてんだなと思って。淳さんに言われたんだから、「やります!」っていう気持ちしかなかったです。
自分が好きじゃなく、信頼してない人に言われたら、「なんで俺なんですか」って言うと思うけど、今まで淳さんがやっているところもずーっと見せてもらっていたし。そんな人に頼まれて、逆にやらないというのももったいないと思いました。
なのですぐ「分かりました、やらせていただきます!」とお答えしました。

―  淳さんは代替わりについて時期を決めていたんですか?

阿部:5年と決めていました。

本当は3年目くらいで辞めるって言っていたんですが、「淳さん以外は、いないですから」と言われていたので。

―  敏さんは、淳さんに託されて引き受けた後はどういう気持ちだったんですか?

高橋:淳さんとの付き合いはここ何年かかもしれないけど、でもやっぱり淳さんの性格も分かっていたし、ストレートに言ってくれるので、あんまり変に自分がどうこうするということは全然思っていませんでした。
もちろんプレッシャーもありましたが自分が失敗して、「ああ、やっぱ淳さんじゃないとだめだな」って言われるのも嫌だし。

―そうですよね、「わ~あ、敏さんになったからか」って言われるのは嫌ですよね。

高橋:嫌だし、それって、復幸祭自体を汚すことになってしまうっていうプレッシャーはありますね。

とはいえ、自分は土台ありきでやらせてもらっているので、すごく楽だと思います。楽って思っちゃダメなんですけど、ただその土台があるからやりやすい。
でも新しい事とか、色んな面白いことをやって、もうちょっと盛り上げられたらなというのは、すごく思っています。

―  なるほど。そんな風に続けてきて、実行委員会も大きくなってきて、そんな中で、外から来た新しい人でも、共感して一緒にやりたいなと思わせるようなこの一体感の正体は何なんでしょうか?

阿部:特にそのために何かしているというわけではないですね。

最初に、復幸祭っていう石を上から転がしたときに、小石くらいの石が、雪山でだんだんおっきくなって、木にぶつかって止まるのか、うまい具合に雪だるまになるのかは分からない。
でも「その歯車回すのは、自分達の役目だと思ってるのでやります」ってのはいうのは実行委員会のメンバーには言った覚えがあります。その石が右に行くのか、左に行くのか、真っ直ぐ行くのか、はたまた止まってしまって動かなくなってしまうのかは、判断できないけれど、やることはやりましょうよ。
そして、何起きるかは関わる人たち、関わってくれる人たちの判断によるのが大きいですから。それがいまこういう風になっているから、よかったんじゃないかと思っています。

―  そんな想いを感じながら、一方で根底はみんな一緒。
女川が好きなメンバーが集まっていることもあるのかもしれないですね。


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